2019/06/22 19:03
(前編よりの続きになります)
三浦:今、柏先生ご自身から60年に近い制作の流れの象徴として並べられた6点の作品について、限られた時間の中ですが、ご説明いただきました。私個人としてもお話を聞く中で、たくさん質問が出てきたのですが、その前に前田先生の方から柏先生の制作の歩みについて、前田先生の視点で何かお言葉をいただきたいと思います。
前田昌彦氏(以後、前田):恐ろしいことを言いますね(笑)。柏先生の60年の流れを簡単に解説できるものではないですよ。ただ私はそれぞれの時点で先生に接して、その中でも非常に強いインパクトとして残っているのは、学生の時に失礼ながら埼玉県のご自宅まで伺って、作品を拝見した時にびっくりしたことですね。とにかく絵が立ち上がっているんです。私達が金沢美大で受けた教育は、疑似的な空間を画面上に作って、石膏デッサンのような奥行きがあって、物が立体的に見える、そういうことばっかり勉強していたし、金沢美大を卒業した人達は皆そういう絵を描いていたんです。描写力はすごい。描写力は金沢美大はすごいのだけど、絵画空間については19世紀的な絵画空間をやってきたのです。そこで初めて、柏先生のご自宅で拝見した、いわゆるぺったんこというか、作品の画面の上の方に丸があったのですが、どうして奥行きがないのに絵画として感じらるのか、そのショックがずっとありました。今まで我々金沢美大の環境では見たことがないものを初めて見たのですが、それは後々よく考えたら、セザンヌ以降のキュビスムが引き継いで来たものであり、画面そのものが絵画空間としてあって、擬似的な奥行きを作らなくても、平面そのものが、絵画としてそこにあるのだとわかる。そういう新たな原則で出来ていることが後々わかるのですが、その時はただただ驚いたものでした。そして、より複雑な様相を見せながら今日まで先生が制作されている姿を、ただただ私は遙か下の方から見上げてきましたので、三浦先生の質問には答えられませんという思いです。
三浦:前田先生は学生時代、昭和40年代に柏先生に出会われていると思うのですが、一番今のエピソードに近い作風の作品はどれですか。
前田:一番最初の解説にあった作品以降のもので、色数の少ないものを拝見させていただきました。柏先生には、作品によって実践的に一つの可能性を我々に示していただいたということと同時に、先生は教育者としてまた作家として、言葉による影響力がかなりあったと思います。作品にプラスして、先程の解説でもありましたように「デッサンでも線を意識しないといけない。線はあるんだよ」とか、「線は線として使うのだ。物の表現とか再現のためではなく、線は線として自立している」とか、仰っていました。自立した線というものを絵画の要素として使うということはなかなか難しいですが、我々に言葉による絵画の思考の一つを示してくださいました。今回これらの作品を拝見して、形についても、ああそうだったのかと改めて感じました。他には、考えて描くのだということ。繰り返しになりますが、我々金沢美大生はよく観てしっかり形を捉えて描け、デッサンをしっかりして描け、と言われて来たのですが、柏先生はそうじゃなくて考えて描くのだと仰っていました。皆さんご覧のようにこれらは写生して再現した絵ではないのですね。いわゆる「考えて描いた絵」なのです。ご自身の言葉を造形思考に置き換えて我々に伝えていただいていると思います
三浦:私も前田先生のお話を伺いながら、自分の記憶を辿るのですが、学部4年生の時に美大図書館からヴェリコヴィックの古いボロボロの画集を借りてきて、4年生教室の自分の制作場所で見ていた、その夕方3時か4時くらいに合評会指導で来学されていた柏先生がふらりと教室にこられて、そのまま1時間以上立ったままヴェリコヴィック談義をしてくださったことが思い出されます。実は私はデッサンの指導をする際に、未だに柏先生の言葉を使わせていただいています。「絵画にあって写真にないものが線だ」と言われたのが、柏先生の言葉の中で大きな印象があります。難解な要素が含まれた言葉であると思いながら、使わせていただいていますが、これは結局自分の問題でもあります。おそらく私にとって一生の問題であるでしょう。先生の作品を拝見しながら、先生はまさにそういうものと向き合われてこられたのだと思いました。それでは次のテーマにいきたいと思います。絵画という表現世界において、柏先生に「西洋絵画のエスプリ」という題名をつけてお話していただくとすれば、どのような言葉がいただけるのかなと、私には興味があります。先程前田先生から従来の金沢美大の美術教育に新しい視点をもたらしたとお話していただきましたが、その点でも、「エスプリ」とは精神というか、魂という意味だと思うのですが、柏先生は西洋絵画のそういったものをどのようにお考えでしょうか
西洋絵画のエスプリ
柏:とにかくそのタイトルはですね、「西洋絵画のエスプリ」というのはまともに向かうとえらい大変だと思うのですが、それを狭めたところで、私の感覚的な受け取り方みたいなところで話をさせていただきます。エスプリというと普通は「機知に富む」とか軽い意味です。「才気がある」とかね、辞書に載ってますけれど、そういう意味で使われることが多いのですが、ちゃんと向かえば、エスプリというのは精神ということだし、辞書の中に人間が吐く息という意味もありました。フランス語でエスペレとは息をつくるという意味、そこから霊とか幽霊、そして精神ということになっていく。僕は先程申したように、63年から65年までパリにいたのですが、着いてすぐルーブルに行ってとにかく驚いた。目の前にどこにも手がかりも何もない大きな壁にぶつかった。それが、東洋の青年が感じた西洋のエスプリ(精神)だと思いますね。フランスの絵画は、それが美術館に登場してくるのは18世紀ですけれど、19世紀に花が咲く。一人名前をあげるとするならばアングルということになります。アングルがフランス精神を代表していると言ってもいいのではないかと思います。ただアングルその人はイタリアにずっと長く居て、フランスになかなか帰ってこれなかったという事情があったし、そうなるまでにはフランドルから始まって100年後にイタリアで花が咲いて、またそこから200年後にフランスで花が咲くという感じですから、フランスは結局フランドルとイタリアの間の良い面を総合したということになります。それは具体的にはアングルとかドラクロワとかですが、彼らのそういう絵をみたときの感じが、大きな壁の感じですけど、フランスそのものだと言ってもいいのではないかと思います。それで、僕が行った頃には、学生時代からでしたけど、セザンヌというのは特別なにか怖いお爺さんのような感じで、ちょっと近づけないというか、特別何ということなしに尊敬していましたね。20世紀の父と言われる感じで。「眼と精神」はM.メルロ・ポンティが現象学をセザンヌを借りて説明したような研究論文ですけど、それはセザンヌ論としても読めるものでもあるわけです。そうしたセザンヌを考えると、19世紀のいわゆる写実的絵画をまた100年たってセザンヌが具現化した、ということになります。僕個人の経験としては、フランス語を勉強していた時に、フランス語というのは実に厳格だなと思って。代名詞があって、名詞も女性と男性とに分かれてあって。僕のフランス語の先生は、日本人女性なのだけど、戦前から戦時中にかけてフランスにずっと隠れていて、終戦後にパスポートを無くしたと言って大使館に行って再発行してもらい、日本に帰ってきて、法政大学のフランス文学の先生になった人ですが、その先生から言われたことが頭に残っています。フランス語でリュシディテluciditéという言葉です。これはフランス人がとても大事にしている、日本語に訳すと明晰さです。一方でフランスの絵画というのは、アングルを思い出してもらえばいいのですが、イタリアとは違う。イタリアはドラマチックで大胆なイメージです。フランドルは非常に細かいところ、きっちり地図のように精緻なイメージです。フランス絵画にはその中間の良さがあり、現実感、つまり現実をよくみてその感じを捉えること、そういう感覚を持っている。その明晰さは、セザンヌにも続いていく。僕は個人的にそういう感じを西洋絵画とくにフランス絵画に対して持っています。
三浦:柏先生のお話を受けて前田先生、いかがですか。
前田:「西洋絵画」とざっくり括ってしまうと、南スペインまでかなとかドイツくらいまでのことを言えばいいのかな、東欧じゃなくて西欧かな、という感じで難しいところがあるけれど、柏先生のフランス留学経験のお話を伺って、自分自身も先生の後を辿るように、似たようなものを感じていたことに改めて気づかされますね。フランスは、イタリアとどこが違うのか。ドイツもまあ比較的理屈っぽいけど、ドイツのような重い感じでなく、フランスはちょっと洒落た感じだとか、言いますよね。フランス語は1時間喋ると顎が疲れると言われるくらい明晰に喋らないといけないのだけど、我々が聞くと、もぐもぐ言っているように聞こえる。それがイタリア語のようにぱっくり口を開いて喋るのと違っていて、そういうニュアンス、パリの銀色の微妙なニュアンスもエスプリの一つなのかなと思います。若い高校生ぐらいのフランスの女の子は「ジュヌセバ」を「セパ」と言ったりね、南の人みたいなあっけらかんと喋ると笑われます。もうちょっとセンスのある発音をしないといけないわけです。上流の人間の繊細な部分や微妙な部分がパリに集中して、それが絵画と一体となって感じられるものがあるんじゃないのかなと思います。例えば、アンリ・ミショーの抽象画なんかは、エスプリだけ描いていたりね、そんな感じです。
三浦:「西洋絵画のエスプリ」は、確かに非常に大きな言葉なので、提案したこちらとしてもまとめるのに苦労しております。西洋絵画を語る言葉としては、範囲が大きすぎたかもしれませんが、実際に作品制作に向かい合う時に扱う材料・技法の側面から「エスプリ」を感じ取ることもできると思うのです。テンペラやフレスコ、油彩画などのいわゆる西洋絵画の枠組みの中で、材料や技法の問題に身をおきながら、日本人の私が西洋美術由来の油絵を描く意味とはなんだろうと、時折自身に問いかけることもあります。材料や技法の観点から柏先生の見解を聞かせていただきたいと思います。
柏:大学院の修士課程を出てから、技法材料、保存技術、つまり修復みたいなものや材料研究みたいなものを1年間研究室で学んでからフランスに行ったのですが、フランスの研究室で初めて油絵具の鉛のチューブにどういうものが入っているのかを知りました。それまではチューブから出してそのまま絵を描いればよかった。それでなんの不思議もなかった。それはなぜかと言えば、結局もっとも技法とか材料に関心が薄くなった印象派が日本の油絵の始まりだったからで、そこから生まれた者としては当たり前のことで、もうしょうがなかったわけです。フランスに行って改めて、デッサンといいますか、自分の技量といいますか、10年くらい描いているのだからいいだろうと思ってフランスに行ったのですが、これでは全然ダメだなと感じました。材料の点で、アングルなんかの絵をみても非常に丁寧に描かれているけど、どうやって描いているのかわからないのです。筆跡もないしね。素材はどういうふうにやっているのか一応勉強したのですが、改めて歴史の時間というか、日本に帰ってきてからまた勉強することになりました。今の日本の状況は、材料に関心がいき過ぎていて、肝心な絵とはどうあるべきか、あまり関心がいっていないという感じもしますが、帰ってきてからそういう勉強をやり直して、一応どういう構造で作られているかは分かるようになりました。現在も含め、こうした古典的な絵の作り方で自分が採用している点はどこかと言えば、基本的に下地をシルバーホワイトである程度厚めに作っている点は、歴史を踏襲しているのかなと思いますね。それから、我々の学生の頃は油絵具に透明な色と不透明な色と、その間の色と、3種類あるとは知らなかったですね。それで印象派の絵はチューブから出して描けばそれなりにできるわけですが、ただし、フランスの印象派の人達の絵をよく見ると、やっぱり、ぶっつけで描いていてもそれまでの技法の知恵というか、制約はあるがその中である程度意識して透明色と不透明色を使っている。でも、そういうのはとにかく私はわからなかったですね。だからグラッシという技法がありますけれど、それは透明色を何回も上から重ねるという技法ですが、フランドルの時代には多いときには14回くらい重ねている。だけど、そんなことも全然わからなかった、知らなかった時代ですね。ただ要するに、似たように描いてはいるのです。透明色も必要な時には多少使ったり、シルバーホワイトを下地に使ったりした。シルバーホワイトは我々、学生の頃は毒だからあまり使わない方がいいと先輩から言われて、ああそうかと思っていた。そういう時代だったですね。
三浦:かなり具体的に話していただきました。もうひとつ先生にお聞きしたかったのは、先ほどはフランスに留学されて以降の考え方などお話しいただきましたが、フランスに行く前のベーシックな知識や技術について、東京芸大時代の学びで得られたものがありましたら、お聞きしたいと思うのですが。
柏:芸大の頃、留学生試験は4回目で受かって行かせてもらったのですが、その間僕の指導教官の伊藤廉先生が学部長をなさっていて、その学部長の部屋に行って、留学の試験を受けるため絵を持って行ってみていただき、4回くらい先生に見ていただきました。その時に、技法ということよりは絵のできかたというか絵というものについて言われたことが非常に印象に残っています。それは静物を描いて行った時に、テーブルとバックとの境目に2cmくらいの線が入るとこの絵はいいと言われのたですが、そんな2cmくらいの幅の線なんかとても感じられないし、そんな度胸もなくてとても入れられないと思って、それはやっぱり写生するということに縛られていて、そこから絵を作るということには繋がらなかった。それとか4年生の時に教室を選ぶのですが、そこに5~6人いたのですがそこでモデルさんを囲んで、みんながどのくらい描けるか見たいので描きなさいと言われて描いた時、そしたら人体の影の部分部分を木炭で太い輪郭線を引かれて(少し輪郭線からズレていたりもしていたが)、「これくらいの線が入った方がいい」と言われて、そう言われたがそんな太い線は自分としては描けないと思いました。それで、その頃から輪郭線ですけれども線ということに関心が芽生えました。
三浦:ありがとうございます。さらに先生の制作そのものに関わるお話を伺いたいと思います。先生の作品の流れをみると、ご自身の技術的な問題に加えて、やはり社会性を伴う思考の跡が先生の絵画を形作ってこられたのではないのかと、私は今回の作品を拝見させてもらいながら感じました。そういう社会性というか社会情勢が、作家として何かを表現する、描く上でのスタンスに関係あるのか無いのか、絵画としてどのように扱うのか、考え方を聞かせていただききたいのですが。
柏:基本的には、色々な考え方があって、色々な絵があるわけです。私自身は、まあ世界も似たようなものですけど、特に日本は美術界で売れる絵というのはかなり範囲が限られていると受け取っています。でも、そういう狭い範囲の絵は、ね。せっかく絵を描いて生きようと思ったのだから、そういう絵は何枚かは描いてもいいけれど、ずっとそういう絵だけを描いていくということはさらさら考えてなくて、自分の描きたい絵をまず描く、ということがあります。まず自分が描こうと思っている絵は、自分が現実に生きて感じている事を描きたい、ということです。当然、社会や経済が関係してくるのは当たり前だと思っている。別にそういうものに直接関係のあるものを画面に持ち込まなくても勿論構わないですけど、やっぱり世界には色々な人がいて。例えば、ヴェリコヴィックという人がいます。僕より一つ年が上でパリで制作しているのですが、彼は、首のない人間が走ったり、空中から落っこちてきたり、そういう絵を描いているのです。僕は首のない人間にするところまではできないなと思って、首がある人間を描いていますが、でも彼は現在世界的にメジャーなった作家ですし、私は作家として尊敬しているので、創形美術学校の校長をやっている時にパリの美術学校で創形の学生と合同展を2回やって、2回目の時には座談会をやったりしました。丁度ヴェリコヴィックがパリ美術学校の先生をやっていて、個人的にも多少知っていたし尊敬もしていたので、彼に直接、画商を通じないで絵を買うことができるか聞いてみたら、小さな絵は誰とも契約していなかったので彼のアトリエまで行って絵を譲ってもらって。小さな絵ですけれども、それをアトリエに掛けて見ています。そういう人がいるということは力強いし、彼だけじゃなくて、世界を見ると魅力のある表現が否応なしに絵から感じられるような絵を描いている画家はたくさんいるわけです。僕が思うには日本は、そういう意味では、狭いのではないのかなと思います。
前田:社会の様相を描いておられるという今のお話ですが、先生のアトリエに行った時に、スクラップブックがあって、あらゆる新聞とか雑誌の切り抜きがテーマ別にスクラップしてあって、当時はインターネットがない時代だから、そのようにして世界の事象とか事件とか国内外のそういうものを収集されているのだなと驚きました。我々は静物をちゃんと見て描くとかしか教わってこなかったので、こういうふうにして絵のテーマやイメージが出てくるんだ、と感じました。
三浦:今年の春先に初めて先生のご自宅のアトリエに伺った時に、ヴェリコヴィックの絵が飾ってあって驚きました。色々お話を伺ってまいりましたが、本日ご来場頂いている皆さまの中には作家の方、美術関係者、卒業生の方々、そして本学の学生も来ています。柏先生は創形美術学校や福井大学での教育、指導のほか、本学の非常勤講師、大学院専任教授として長らく美術教育に携わってこられました。ご自身も一人の作家として制作を続けられる中で、今日に至るまで制作をし続けたということはまぎれもない事実です。美大生を含めて、これから西洋絵画を学んで制作していくこととは何か、どういうことなのか。若い人達は色々不安もあると思うので、先生の今までのご経験の中からメッセージと言いますか、叱咤激励、絵を描き続けていくポイントについてお考えを聞かせて頂きたいです。
(後編へ続きます)