2019/06/22 18:56

柏 健 展1969−2015 シンポジウム 「西洋絵画のエスプリ」

平成30年11月23日(金・祝) 14:00〜16:00
金沢美術工芸大学大学院棟2階展示室

シンポジスト  柏   健  金沢美術工芸大学名誉客員教授

        前田 昌彦  金沢美術工芸大学名誉教授

司会      三浦 賢治


三浦:「柏健展1969-2015 シンポジウム 西洋絵画のエスプリ」を開催するにあたりまして、まず本日のシンポジストを紹介いたします。
こちらは本学名誉客員教授の柏健先生です。お隣は本学名誉教授の前田昌彦先生です。司会進行は油画専攻の三浦がつとめます。よろしくお願いいたします。
 次に、本展の主旨を説明いたします。本展は平成30年度金沢美術工芸大学教員特別研究「平成29年度芸術資料の分析・調査およびその教育効果について」の一環として開催されるものです。この研究は油画専攻の大森啓教授、岩崎純准教授、一般教育等の高橋明彦教授、そして研究代表者である私三浦で構成されております。研究の目的を要約したものを読みます。
 平成29年度芸術資料として収集した柏健氏寄贈による6点の作品を基に、その制作・表現世界を分析し、その作品群を本学が所蔵する意義を検証する。柏健氏は、金沢美術工芸大学に昭和44年に非常勤講師として来講以来、40年間にわたり本学大学院専任教授、客員教授として指導にあたる中で、本学の絵画(特に西洋画)教育に多大な功績を残された。本研究では柏氏本人への取材のほか、研究の一環として学内展示を行うとともに、学生や市民に対する教育効果を目的として柏氏本人を招いたシンポジウムを開催する。一連の研究活動を本学紀要及び図録のかたちでまとめ、記録することは芸術資料収集の成果を世に示す上で大切なことである。以上の通り、本展およびシンポジウム開催の運びとなりました。また、会場は柏先生の実作品に囲まれた中でのほうが具体的なお話が伺えると考え、展覧会場での開催といたしました。

 それでは柏健先生、そして柏先生とは本学学生の時代から、また卒業後は作家としても長く親交のある前田昌彦先生、お二人のお話を伺いながら進めていきたいと思います。一通り終わりましたら、質疑応答も行います。先生方よろしくお願いいたします。
 次第として記したように、「寄贈作品について」、「西洋絵画のエスプリ」、「西洋絵画を学び制作することについて」、という大きな3つの柱を立てました。柏先生、前田先生両先生をご存じの方が今日多く来て下さっていると思いますが、お二人ともにお話の幅が広いので、3つの柱を行ったり来たりしながら進めていけるかと思います。皆様既にご覧いただいているとは思いますが、まずは展示してある寄贈作品6点それぞれを柏先生から直接、作品への思いも含めて、また造形技法の面からも語られるかもしれませんが、1点ずつご解説いただきたいと思います。壁面の関係でランダムに飾らせていただいており、年代順にはなっていないのですが、やはり古い順番からお話いただいたほうが制作の流れが見えると思いますので、まずは1969年「沈黙と瞑想のための時間」という作品について、ご説明いただければと思います。

柏 健 氏(以後、柏):ご紹介いただきました柏健です。寄贈させていただいた6点はですね、私が絵を発表し始めて60年になるものですから、現在私は82歳ですが、10年単位で1点ずつ計6点、私が寄贈したいと思う作品を選ばせていただきました。

「沈黙と冥想のための時間」1969年 カンバス・油彩 181.1×227.2cm
「沈黙と冥想のための時間」1969年 カンバス・油彩 181.1×227.2cm

  これはこの中で一番古いもので、題名は「沈黙と瞑想のための時間」といいます。ご覧のように色々な情景がバラバラのものを一つの画面に寄せ集めて、という絵でして、基本的にこの頃考えていたことは、その前からでもありますが、自分の生きている時代のまわりを取り囲んでいる現実、そしてそれに対する私の見方あるいは感じ方、自分が体験したそういうものをテーマにして、感じ方は少し変わってきてはいますが、基本的にはそういう形で絵を描いてきたかな、と思います。自分を取り巻く状況とそれに対する感じ方は、現在までそうですけど、取り巻く世界で生きているまわりの状況、題名にラビリンスとしたような作品もあるのですけれど、それは迷宮・迷路という意味ですが、基本的にはこの絵もそんな感じなんです。なんとなく自分を取り囲んでいる世界が不気味というか、どう解釈していいのかわからないような、非常にこう無秩序で迷路的な状況に対して、自分の持っている現実感みたいなものを絵画化したい、と思っていました。
 具体的に、コンポジションということについてですが、描かれたのは風景は風景なんですけれども、手前に何かがあって後ろに広大な空気の層があるみたいなそういう感じではなくて、出来るだけ画面全体に上の方にある形があまり遠くに行かないように描きたいというか、そういう意味では画面全体が平面化した感じです。その中で白と黒が多いのですが、白と黒との形の組み合わせみたいな、あるいは模様みたいな、そういう要素を積極的に含めたい。なにか危険な予感というか、なにか平和な世界ではなく矛盾にみちて危険にみちている、そういう世界の動き、これから先どのように動いていくのかわからないが、そういう不透明さ、状況がわからない中に自分がいて、そこで一人の表現する者の立場として、そういう状況を描きたい。このことはこの絵だけではなく、他にも同じようなものがあるのですけども、私は色々な作家に影響を受けているのですが、人によっては人の影響を受けない方がいいという人もいると思います。アンリ・マチスですかね、彼は、出来るだけ色々な人に影響を受けて、それで自分が潰れるようだったらそれまでだ、と言っているんですね。私もまったく同感で、影響を受けるということはそこに感動するというか共感するというか、そういう部分があるからで、興味をもつからであって、それは言ってみれば先輩との対決と言うか、そこを抜けて絵を描いていかなければならないと思います。興味を持った作家には積極的に中に入っていくのがいいと思います。ただまったく同じような絵は描きたくない。自分なりに解釈を入れましたね。この頃はベピ・ロマニョーニ(Bepi Romagnoni)という画家に、わりと早くして、潜水、海に潜るのが好きで、事故で死んでしまったイタリアの作家なんですけれど、強く影響を受けました。

三浦:ありがとうございます。続いてお願いします。「α事件と同調する画面」です。

「α事件と同調する画面」1970年 カンバス・油彩 200×200cm
「α事件と同調する画面」1970年 カンバス・油彩 200×200cm

柏:前のとあまり時間が経っていないのですが、この作品で影響を受けているのは、今でも好きな作家ですけど、R・B・キタイですね。この頃、自分なりにキタイを意識して、取り憑かれていて。ちょうど日本でもフランスの反小説、アンチ・ロマンが流行していて、しばらくして新しい小説、ヌーヴォー・ロマンと呼ばれるようになった。そういう新しい文学の世界で一番代表的な作家にアラン・ロブ=グリエという人がいるのですが、探偵小説という形を取りながら、ずっと読んでいくと探偵自身が犯人みたいじゃないかと、最後はよくわからない曖昧な感じで終わるのですが、そういう探偵小説の形を借りて小説とはどうあるべきかみたいな問題提起をしながら書かれた小説がありましてね。事件がおこっているみたいなのだが、それがどういう事件なのか曖昧でよくわからない、そういうわからない迷宮のような状態を絵画の中に持ち込んで自分なりにやってみようと、「α事件と同調する画面」というタイトルをつけました。キタイの絵には線があるのと無いのとがありますが、前の絵もそうですが、私は基本的に線に対する興味があって積極的に画面の中で線を使う。これは今でも意識してやっています。この絵も輪郭線とか、輪郭線ではない線とか、とにかく線というものを積極的に使うという意図で描いていましたね。

三浦:次は1984年「透過する風景」、100号です。

「透過する風景」1984年 カンバス・油彩 130.3×162.2cm
「透過する風景」1984年 カンバス・油彩 130.3×162.2cm

柏:この絵は、透明なカプセルに入っている人間達というイメージ。透明なカプセルの中に閉じ込められている人間の存在、人間のあり方とか、そういう自分のイメージがあって、テレビがあったりして、現代を自分なりの捉え方で描いたものです。この絵とは色調が違うのですが、ちょっと前に亡くなったユーゴスラビアからパリに出てきてメジャーになったダドという作家がいるのですが、彼の絵は柔らかい幅の狭い調子の中で描かれていて、もっと青っぽい調子ですけれど、この絵にはそういう幅の狭い調子の中で描こうという意図があって描いたのをよく覚えています。ちょっと別のことで言いますと、私がフランスへ行ったのは1963年から65年までなのですが、この頃、これから絵はどのように動いていくのだろうか、と。その事に対してはっきりとした見当はついていなかったのですが、漠然とした思いとしては、なんとなくシュールレアリスムのようなものと、アンフォルメルみたいな形のない線というか、そういったものとが混ざりあったような、接点をもったような所に絵はいくのではないか。漠然とそういう予想を持っていました。その時期にイギリスに行く機会がありまして、ロンドンで観たフランシス・ベーコンにえらく衝撃を受けましてね。それまでは全然、人間を描くつもりはなかったのですが、人間を描かなければだめだな、人間を描こう、と思って、それからは僕の絵に人間が出てくるようになりました。だからこの絵もその点では人がたくさん出てきている。さらに付け加えると、ベーコンの何に共感したかというと、写実的な人間を描くというのはなんとなく時代遅れと思っていたのが、全く盲点をつかれたようで、現代に生きている生々しい人間像と言いますか、これを描かなくては、と思うようになりました。それから人間が出てくるという、人間を描くというのは大変だなと、だんだんその頃から思うようになって、人間を表現するという勉強をやり直さなければならないという流れの中で生まれた絵です。

三浦:次は1985年から90年にかけて描かれた「都会」という作品です。これについてお願いします。

「都会」 1985 - 1990年 カンバス・油彩 194×259cm
「都会」 1985 - 1990年 カンバス・油彩 194×259cm

柏:影響を受けているのはやっぱり、ポップアートのピーター・ブレークですね。イギリスのキタイもそうですけれど、キタイはアメリカ人ですがロンドンで活躍してイギリスを代表するポップアートの画家の一人になりました。ピーター・ブレークはポップアートの中では少し後からでてきた画家ですが、表現はおとなしいと言えばおとなしいけど、やっぱり魅力があって。この絵は、描いてはちょっとそのままにして、またしばらくして手をいれたりして、結果的には描き始めてから5年くらいたって完成した作品です。ピーター・ブレークの表現方法みたいなもの、彼はこういう広場の状況のような絵を描いてはいないのですが、自分の今までやってきた流れといいますか、それをピーター・ブレークに結びつけてこういう絵にしました。

三浦:2006年「零地点からの再生のための出発」について伺います。

「零地点からの再生のための出発」2006年 カンバス・油彩 194×259cm
「零地点からの再生のための出発」2006年 カンバス・油彩 194×259cm

柏:これはですね、金沢美大を去るにあたって、金沢での自分の総決算のようなイメージで描いた絵で、2002年に亡くなっているイタリアのヴェスピニャーノという作家がいるのですが、この作家に影響を受けています。この人は戦時中ファシズムに抵抗して、すごくいい絵を描いているのです。表現としては普通に写実的に丁寧に描いているのですが、その感性みたいなものに惹かれます。抵抗精神が非常にあってね。あまり線を使っている作家ではないですが、私は輪郭線としてだけはなく、線を積極的に使おうと思って描いた絵です。

三浦:6点目は「現出に向かって」、2015年です。

「現出に向かって」2015年 カンバス・油彩 194×324cm
「現出に向かって」2015年 カンバス・油彩 194×324cm

柏:これも線を使っています。矛盾している現実があって、それに向かって自分の現実感みたいなものを描こうとしていて、そういう意味ではずっと繋がっている絵です。人間のいる風景から人間そのものへと関心が移っていき、人間っていったい何なのだろうという哲学的な意味が、人間とはどういう存在か、そして存在とはそもそも何なのだろうか、そういう風に考えが動いてきて、それまでは割りに静止的な画面だったのですが、金沢での最後の総決算みたいな絵もそうですが、人間が行動するというか走るということ、行動することを象徴的に表現しようという気持ちから、現在でもそうですけど、ともかくどこかを走っている人が出てくるような絵が多くなりました。画面の下の方に、人が走り出す連続的な図を取り入れて、それを観ている人と同居させたい。男は自画像みたいなものを入れて描いたのですが、女を入れたいと思って、それで8年前に亡くなった妻の若い頃の写真をもとに、妻の顔を入れました。真ん中のひん曲がったような自動車も、現代の状況というか、それらを組み合わせて制作したと思います。例えばこちら絵のように(別の絵)画面全体が一つのシーン、場面として作られていると、どうしても確固として限定された空間になるので、そういう風にしないように、キャンバスの白を残して、イメージが断片的にそこに配置される。これは、絵って何なのだろうという問い掛けです。写真が発達している近現代では、設定や配置を全部作ってしまうと、それだけで大きな枠に縛られてしまう気がします。写真とは違うという、そういう側面を強調したいのです。断片という完全な囲いを作らない絵を描きたいと思うように、だんだん変わってきて、その流れの中でこの絵ができました。

中編へ続きます)