2019/06/22 18:57

中編よりの続きになります)
西洋絵画を学び制作することについて

柏:まず学生さんに言いたいことは、絵は長丁場というか一生の仕事で、それには要するにお金がいるという事です。お金をどうやって稼ぐかということは、若い時はあまり考えない。我々の時代は考えなくて済む雰囲気もあったのですが、現代はなかなか職に就くこと自体が難しい時代だし、貧富の差が激しくなってきている。家がすごいお金持ちならいいですけど、そうではない人は学校にいる間に得られる免許はちゃんと取って、具体的には教員資格をちゃんと勉強して、学芸員ともかね、資格が取れるものは取って。それで、教員になって忙しくて絵が描けないと言う人もいるのだけれども、まずは生活しないと絵は続けられないです。だから、そういう生活の基盤をしっかりさせる努力をする。とにかくそれを言いたいですね。つぎに絵について言いますと、エッセンスともいうべきデッサンに関してです。僕が学生の時は、学生運動が盛んな時期であったいうこともあって、だいたい一日おきくらいに国会にデモに行っていた時代でした。浪人時代には一生懸命石膏デッサンをしていたのだけれども、学校に入ってからはあまり絵を描かなかった。でも、学校にいる時は真面目にやりましたよ。で、パリに行って自分の力の無さに愕然とした。日本にいた時には予備校でも教えたりして、普通にはできると思っていたのですが、パリに行って絵を見て愕然とした。絵を支えているのはデッサンです。ルーブルには研究室があって、それは美術館の別棟にあるのですが、そこで許可をもらって入れてもらう。研究者が5、6人いて、僕もアングルとかドガのデッサンを手に取って見ました。そばには監視人がついています。実物だから、それらを見ると、力の入れ具合で紙のへこみ具合とかよくわかるのです。我々は胴体を中心に大きな動きが描ければいいやという感じで描いていたのですが、ドガもアングルも、手や足の指、爪とかきちんと描いているのです。よく見るとドガは、少ないけれどとにかく消しゴムで消してまた描き直してサインしている。小さいデッサンですから、画集で見ても、そこまでは見えないのです。でも実物を見るとわかるのです。手足を描くのって難しいのですね。バランスが崩れてしまい、難しいという気持ちも半分あるし、まあ大きなところが描けばいいやという気持ちもあって、曖昧にして、結局描かないできたのです。だから、デッサンとは全部描くということなのです。言葉でいうと簡単ですが、もののボリュームとものを囲んでいる空間の深さ、その表現。それもしっかり描く。要するに日本のデッサンを一言で言うと、全部調子を拾ってしまう、だから写真みたいなデッサンなんですね。調子を要約するというか大事な調子とそうでない調子、これをちゃんと振り分けて描く、その要約するデッサンを描くように心がけております。デッサンは、最初はどうしても写真のような片目的なデッサンになってしまう。両目でみた形を描くには、自分には力がないから、誰か力のある人に見てもらわないとなかなかわからない。そういうことに心がけて、西洋の人と同じ舞台に立たないと。同じ舞台では仕事ができないと思います。

三浦:経済的な基盤をまず作りなさい、ということですね。

柏:はい、それが一番大事です。才能のある人のほうが、生活の手段を無視しがちです。我々が学生の時は非常に顕著だったけれど、それは今でも変わらない。金沢でも、大学に入ってきた優秀な人たちに教職を取れと言ったのに、取ってない人が多い。その結果、絵のほうは画壇で評価されるけど、続けられない、中断してしまうという人を何人か見ているので言いたいです。

三浦:それに加え、デッサンをちゃんと突き進めることの二つの話をされました。構図や構成の点で影響を受けられた作家の紹介と合わせて説明していただいたのですが、構図の問題について、例えば最新作の大きい絵についてご説明いただけますか。先生の中で近作や新作で構図や構成において特に気にされていることは何ですか。

柏:基本的な考え方としては、古典的な構図法は色々な本に載っていますけれど、現代はもっと自由でいいと思うのです。僕はあまり気にしていない方です。現代の同時代の作家の絵を見て、ショックを受けたり、なるほどなと思ったりして、描いています。基本的な考えとしては、構図法というよりはまさに壁として考える。壁が立つためには、そこに柱をいれる。まず斜め、真ん中、上下左右に入れる。風が吹いてきて、風に対抗できる筋交いを入れる。実際には風ではなく、人間が立ってみるということです。つまり視点、視力に耐える画面作りを否応なしに考えなければならない。基本的には画面の中心にまず目がいく。そしてそこから徐々に上の方にいったり横にいったり、色々回って、そしてまた真ん中あたりに視線が戻ってくる。ただし、そこに形とか色とか関わってくる。その関係において大きく変わる可能性があるから、そんなに厳密には考えてやっていないです。

展示風景2
展示風景2

三浦:時間も一時間半が過ぎました。今回のシンポジウムは半ばレクチャーというか、シンポジウムという形態からすると変わった進行かもしれませんが、次第の順番を入れ替えて、ここで質疑応答に移りましょう。ご来場の皆さんの中から柏先生に聞きたいことがありましたら手を上げてください。では、修士2年の榮長君どうぞ。

榮長:油画修士2年の榮長と申します。二つほど聞きたいことがありまして、一つは細かいことですが、作品「現出に向かって」についてですが、2枚組になっているのはなぜなのでしょうか。木枠が真ん中に走っているのは理由があるなら教えて下さい。

柏:現実的、物理的な理由からです。僕は国画会という会に所属しているのですが、地方展というのがあって普通は名古屋と大阪を回って帰ってくるのですが、国画会の財政的な問題もあって130号までしか積んで運搬できないのです。だから東京六本木の美術館では2点合わせた形で出しているのですが、地方展には1点(半分)を出しているのです。それでだいだいは左側を出すつもりで1点で見れるように出しているのです。だから2点の組作品を作っているのです。

榮長:だいたい10年ごとに作品を持ってこられたのですが、どれも大きい作品で、これらをコンスタントに創り続けるための保管場所やアトリエはどうしておられるのでしょうか。

柏:今回、画集を持ってきています。その表紙になっているのが私のアトリエです。2点の100号を描いてる写真なのです。この絵は50号ぐらいに描いて100号に伸ばして、100号から130号2点に伸ばした、その間考えが少しずつ動いてますが…。小さなアトリエなので、ギリギリこれを眺められる範囲で描いている。保管は倉庫に入れていますが、倉庫も新しく作ったのですが、それが一杯になってしまいました。もうそんなに生きないのだから、置けるところに置いてと思っていますけれど、だいたい家の半分くらいは倉庫ですね。大きな絵を入れる部屋と少し小さな絵は棚を作って横に積み上げて、ギリギリの状態ですね。家の半分が倉庫で、残りの半分の半分がアトリエ、あと半分は寝るところと台所です。そんな生活です。結局、僕は3年に1回、パリへ1ヶ月程行く。それを10回程行ってますから、それに行かなければもう少し立派な家に改装できたのですね。絵を描いてね、なんとか生きていければいいやと思って、絵中心の生活できたので、そんな感じで特別な倉庫というのは無いですね。

当日配布された画集

榮長:芸大を出て初期の頃はいかがでしたか。

柏:そんなに大きな絵は描いていなかったですね。私はパリから帰ってきてからは人の家を間借りして、そこで描いていたので、その借りている部屋の窓から150号のキャンバスを出すのに苦労しました。保管は自分の寝る場所に保管して、国展へ出すようになってからは保管していますが、それまでのものは引っ越しするたびに全部無くなって、身体だけが残っているという状態です。

南:油画専攻3年の南です。先程の話で、先生の作品は、社会的なものが制作の根幹にあるとお聞きしました。一番最初の作品は、先行きの見えない将来のことを表現されたとありましたが、パリから帰国されてからも、冷戦体制が崩壊し、日本でも1995年のオウムサリン事件、阪神淡路大震災など、色々な出来事がありました。先生ご自身の作品に影響を与えた社会的なもの、出来事が何であったか、お聞かせください。

柏:それはですね、やっぱり小学校4年生の時、戦争に負けたということですね。それまでは軍国少年で育ってきて、退役軍人が小学校に来て軍事教育の真似事をやっていたのです。それに選ばれて、文書を持ってそこに届けるという訓練みたいなことをやったりして、大きくなったら兵隊になるのだなと、全員がそんなふうに思う時代だった。負けて東京の焼け野原を見て、浮浪孤児みたいな人が一杯いる時代に育ちました。63年から65年にパリに行って、フランスはドイツに占領されはしても、東京みたいに家が全部焼けて無くなる経験はないのですね。国家としては出来上がっている国家で、絵もね、簡単に言えばボナールの絵のような生活を楽しむというか慈しむというか、画廊でみられる絵は大半はそういう感じです。僕がフランスに行った時、そういう絵を描くつもりは毛頭なかった。命がけで生きてきたのに、そんな楽しげな絵は描きたくないと思っていた。そういうこともあって、向こうではベーコンに影響を受けたと言いましたが、絵を楽しむとかそういうことではなく、自分の生きている現実に向かって、現実そのものを、軍国少年で国家に騙されたわけですから、もう人から騙されたくないという、現実の状態をはっきり見たい。そういうものと自分の絵とは切り離せない。そういう意味で絵画というのは政治・経済社会の状況と直結していないと面白くないと思っていた。それで、社会と同時に人間そのものへも関心が移ってきて、最後の作品は「現出に向かって」という名前にしています。現出というのは、哲学者が言うには「存在」という言葉よりも「現出」と言った方が、哲学をやっている人にとっては当たり前というか、そっちの方が意味としては正確ということがわかってきて、「存在」という言葉は使い古されていて、つまり簡単に言うとハイデッガーとの結びつきが強すぎるというので、それで「現出」という言葉を使うようになりました。それまでは「存在に向かって」という題名にしていたのだけど「現出に向かって」というタイトルに変えました。存在に対する関心というのは、結局自分自身の問題でもあるけれど、それは同時に周りの社会的な状況を含んだ問題でもある。今でも社会の政治経済と自分の絵画の間には深い関係があると思っています。そのつもりで残された時間も絵を描いていこうと思っています。

南:ありがとうございました。

三浦:時間になりましたが、ほかに質問したい方いますか。

中井:油画専攻2年の中井です。先生の作風だったり、キタイの作風だったり、いずれにしても先人達の、「見る」ということに対する疑問の研究の成果の応用だと思うのです。僕が最近考えているのは、いずれにしても絵画というのは引用だったり応用だったりでしか作れないのではないかということなのですが、今現在、見ることについて驚けるのか?要するに、新しい絵画は出てくるのか?先生はどう思われますか。

柏:みな、新しい絵画というものを考えて生きているわけです。僕の好きな作家の画集など読んでいると、お互いが、同時代の何人かの作家を常に意識して絵を描いている。それは宇宙にある惑星みたいなものです。自分と近い惑星もあるし、遠い惑星もある。それを作家におきかえると、自分と近い作家もいるし、遠い作家もいる。気になる作家は限られてはいるが何人かはいる。そういう人との距離を測りながらやっているのだという感じがします。そして同時に、静止しているのではなく、みな動いている。だからこそ、自分と同じくらいの世代の人とか、わりと似ている人とかに関心がある。最近はパソコンなんかで世界の色々な若い人の作品をみることもできるから、そうするとこれからはこういう方向に絵画というのはいくのかなあと思わせるような、作家は何人かいますね。大きな考えでみると、絵っていうものは、らせん状なのかもしれないけれど、右から左へみたいな感じではなくて、それでもやっぱり縦にどんどん動いて広がっているように思います。新しい絵画というのはあると思います。皆、それを追いかけているのだけど、才能のある人がそれを少し進める。情報が閉ざされていた状況から、ネットができて、狭い世界が破られて、どんどん世界の状況が見えるようになって、それはとても良いことだと思います。私の個人的な見方としては、やっぱり、力のある人は新しいことができるのではないかなと思います。

三浦:これで質疑応答は終わらせていただきたいと思います。最後になりますが、前田先生、ここまでで何かありましたらどうぞ。

前田:今日は5年ぶりに油画の教官室に入りましたし、柏先生とは毎年お会いしているのですが美大の雰囲気とか、また次の世代を担っていただける方々にも今日は会えたし、参加できて本当に良かったと思います。ルネッサンス時代は人の肩の上に人が立つと言われていて、師匠の工房に行って学んで、それが次世代に伝わっていく。現代は人の肩の上に人が立たなくてもいけると、情報だけでいけると思っている人が多いのですが、人から生で聞いた話、人からきちんと教わった話、そして長い時間をかけて咀嚼して自分のものにして、またそれを伝えていく、そういう形が失われていく時代だけれども、私は柏先生から受けたものを自分の中で若い時、ああじゃないか、こうじゃないかと反省しながら、またそれを美大の教員生活の中で伝えてきたつもりです。やはり皆さんも柏先生からお聞きになったことを伝えていってもらえば、今日、これをやった意味があるかなと思います。ありがとうございました。

三浦:最後に柏先生から一言いただいて終わりにしたいと思います。

柏:僕が今一番興味を持っている哲学者は、ミシェル・アンリという人です。フランスの現象学の大家の一人で、タイトルを「存在」から「現出」に変えたと言いましたけど、ミシェル・アンリは「現出の本質」という本を出して、法政大学出版局から翻訳されています。何を言っているかと言うと、ひらたく言えば存在の本質ということです。それは情感性だと彼は言うのです。情感性affectivité、日本語に訳すと情緒的な意味だと間違えて捉えられがちですが、言いたいことは要するに、人間が生きるということは自分の中から出てくるもの、自分の中から感動した、感じたものが大切なのだということです。絵について言えば、自分が本当に興味を持ったもの、人から言われてそうかなと思ったものではなくて、自分が本当に感じたもの、それを絵を描く上で追いかける、それが一番大事だな、そうやっていくとこっちの方に興味があるのだなと、色々なことがわかってくる。自分がいいなと思ったこと、描きたいと思ったことを一生懸命やるということ、それが一番大事なことです。それを最後に言いたいと思います。以上です。

三浦:ありがとうございました。それではこれでシンポジウムを閉会させて頂きます。改めて、今日お集まりいただいた皆様、長時間ありがとうございました。また準備に先立って手を貸してくれた油絵専攻のスタッフの皆様ありがとうございました。柏先生、前田先生に拍手をもって終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。(了)